めぐる

芳悠土井の話をしたいと思います。

「伸也、ええ牛飼いてぃゃぁ。(値段は)なんぼしてもええ、これだっていう牛、買ってくれ」
と言ったのはおじいさん。社長の父です。

言いつけ通り、H17.3月の湯村家畜市場でそのセリ最高値で「さちふく」号はおじいさんの牛になりました。
「さっちゃん、さっちゃん」と呼び、上田家のずっと昔(社長が独立するまで)の牛舎をすでに整備していたおじいさん。さっちゃん牛舎に通う日々の始まりです。天気の良い日は繋ぎ運動をしたり、追い運動をしたり。さっちゃんが成長すれば種付け(人工授精)も気になります。
「伸也、さっちゃんのツメ見てくれ」
「種付けはいつ頃がええだ?」
「種(種雄牛)は何つけたらええだ?」
社長らを育て上げ、第2の子育てのようでした。さっちゃん、さっちゃん、大切なさっちゃん。
愛情いっぱいに育てられたさっちゃんは、翌H18.3月 福芳土井の産子で雄子牛を産みました。

「伸也、さっちゃんの産んだ子牛見てくれ」
日々成長する子牛に異常がないか、エサの量は適切か、牛舎の環境はどうなのか、おじいさんは心配だったんだろうな。社長は色々アドバイスしてました。おじいさんも良い子牛に育てようと、繋ぎ・ブラッシングなどよく手をかけてました。

時は平成18年。鳥取全共を控え「さっちゃんの産んだ雄子牛」は全共対策で、兵庫県に買い上げ頂きました。
その年は41年ぶりの親王のご誕生・「秋篠宮悠仁さま」の「悠」。また、おじいさんの名前が「ひさし」であることから さっちゃんの産んだ雄子牛を「芳悠(よしひさ)土井」と名付けた、と県の担当の方から説明を受けました。とてもありがたい名前をつけてもらったもんだ、と おじいさんをはじめ家族みんなが喜びました。   …ちなみに、私共の娘にも「悠」がつくんです。

つづく。